神護寺跡の手洗石、石灯籠は赤穂市の指定有形文化財で赤穂藩家老を務めた大石家が寄進したものです。

1998年当時の神護寺(庫裡)中央に手洗石が見えます
神護寺は奈良時代、和気清麻呂による創建と伝わる天台宗の寺院です。
戦乱による荒廃から鎌倉初期には文覚上人が再興、江戸時代には赤穂藩主、浅野長直が1661年に完成した赤穂城の鬼門の守りとして1663年神護寺を再建しました その際、神護寺・山王神社、拝殿、庫裡の建物を普請しています。
そのため代々、家老職であった大石家とのつながりが深く 寄進した石造物を現在でも見ることが出来ます。
大石良欽寄進手洗石
大石良欽(おおいしよしたか)は元禄赤穂事件で討ち入りをした大石良雄の祖父です 寄進当時の赤穂藩家老です
寛文5年(1665年)に寄進しています


・高雄山山王御宝前
・奉寄進手水鉢
・大石内蔵助良欽
・干時寛文五乙巳年
・十二月吉日
五行の刻印があります 三行目に大石内蔵助とあります 内蔵助(くらのすけ)とは通称です
内蔵助とは皇室の宝物を管理する役名です 武士の社会では通称で呼び合うのが一般的だったようです
大石良重寄進石灯籠
大石良重(おおいしよししげ)は良欽の弟です 同じ家老職でした、元禄赤穂事件には浅野長矩(内匠頭)の江戸での勅使饗応役の補佐をしていました 寛文6年(1666年)に寄進しています

左の灯籠には
・寛文六丙午年
・奉寄進石灯籠
・九月吉祥日願主源長直
右の灯籠には
・寛文六丙午年
・奉寄進石灯籠
・九月吉祥日願主良重
それぞれ三行の刻印があります 源長直とあります、源姓ですがこれも通称です役名では無く天皇直属の臣下を表しているようです 良重は城主浅野長直の娘 鶴姫と結婚し 450石取りの家老でした
大石良雄寄進石灯籠
大石良雄(おおいしよしたか)は良欽の孫です 父、良昭が34歳の若さで亡くなったあと良欽の養子となります
良欽も亡くなり、1677年19歳で家老職に就きました 刃傷事件は就任24年後の1701年です
貞享4年(1687年)に寄進しています

奥の灯籠には
・貞享四丁卯年
・奉寄進石灯籠
・七月吉祥日願主良雄
手前の灯籠には
・貞享四丁卯年
・奉寄進石灯籠
・七月吉祥日願主良雄
それぞれ三行の刻印があります
大石良雄はこの寄進の前年 但馬豊岡藩筆頭家老 石束毎公の娘 りくと結婚しています

大石良雄は山王神社に石灯籠を寄進し社殿前の手洗石を境内の別荘に移設したと言われています
神護寺は明治初期の廃仏毀釈運動により取り壊されてしまいます
残った庫裡も2015年9月老朽化により倒壊してしまいました、この建物にあった絵馬と2体の仏像
・三十六歌仙絵扁額(付)布袋図絵馬 1面 赤穂歴史博物館管理
(さんじゅうろっかせんえへんがく(つけたり)ほていずえま)は
浅野長直が奉納した江戸時代初期の作とされ
・木像不動明王立像(もくぞうふどうみょうおうりつぞう)如来寺管理
・木像毘沙門天立像(もくぞうびしゃもんてんりつぞう)如来寺管理 は
慈覚大師(円仁)の作と伝えられ、高雄山神護寺清篭院護摩堂の本尊でした
